時代 |
和暦 |
西暦 |
六十里越街道関連の歴史 |
主なできごと |
大和 |
祟峻 1 |
588 |
能除仙、羽黒山を開く。 |
538 |
百済から仏教伝来。 |
推古 14 |
606 |
能除仙、月山と湯殿山を開き、荒沢に常火堂を建立する。 |
|
( 一説では552年 ) |
奈良 |
和銅 5 |
712 |
村山・置賜二郡の出羽国編入後、山形から出羽国府 ( 藤島町平形 ) までの最短距離として六十里越街道が開かれる。( 十王峠-松根-黒川-高寺-狩谷目-大半田を経て出羽国府へ ) |
593
594
645
|
聖徳太子摂政となる。
仏教が国教となる。
大化改新。 |
宝亀 4 |
773 |
月山神社が封二戸を授けられる。 |
701 |
大宝律令完成。 |
平安 |
大同 2 |
807 |
弘法大師空海・湯殿山を開山。 |
|
( 神祗官の制定まる ) |
天長 2 |
833 |
空海・注連寺を建立。 「 七五三の注連 」 を残して、これから奥を
女人結界の地と定めた。 |
710
784
794 |
平城京 ( 奈良 ) に遷都。
長岡京に遷都。
平安京に遷都。 |
仁寿 2 |
852 |
空海・大日坊を建立。 |
801 |
坂上田村麻呂、蝦夷を平定。 |
貞観 6 |
864 |
月山神社が従三位を授けられる。 |
806 |
空海、真言宗を開く。 |
貞観 18 |
876 |
月山神社が正三位を授けられる。 |
|
|
元慶 4 |
880 |
月山神社・従二位勲四等に昇進。 |
|
|
延長 5 |
922 |
「 神明帖 」 に月山神社が明神大に記される。 |
|
|
鎌倉 |
承元 3 |
1209 |
羽黒山衆徒多数鎌倉に押しかけ地頭の非違を訴える。 |
935 |
平将門の乱 ( 〜940 ) |
建治 1 |
1275 |
羽黒山・梵鐘を鋳る。 ( 重要文化財 ) |
1017
1086 |
藤原道長太政大臣に。
白河上皇の院政。 |
正和 1 |
1312 |
羽黒山塔立柱式 ( 国宝 ) を行う。 |
1167 |
平清盛、太政大臣に。 |
南北朝 |
文和 4 |
1355 |
注連寺・兵火に罹り一山焦土と化す。 |
1192 |
源頼朝、鎌倉幕府を開く。 |
貞治 7 |
1368 |
月山を信仰の対象とする行人衆が結成。
( 一明院の石碑より ) |
1232 |
御成敗式目制定。 |
嘉慶 1 |
1387 |
日月院が東側の月山登山にあたる岩根沢に建てられる。 |
1334
1338 |
建武の新政。
足利尊氏、室町幕府を開く。 |
明徳 6 |
1390 |
阿吽院が月山の北側口たる肱折に建てられる。 |
|
|
室町 |
応永 2 |
1395 |
大井沢に大蔵坊 ( 大日寺 ) が出来、東側の湯殿山登山口が開かれる。参詣行者が急増。 |
1392
1467 |
南北朝合一。
応仁の乱 ( 〜1477 ) |
戦国 |
大永 5 |
1525 |
羽黒山衆徒、林光坊・本道寺を開く。 |
1543 |
種子島に鉄砲伝来。 |
天正 7 |
1579 |
最上義光・病の回復を願って湯殿山に祈る。 |
1549 |
キリスト教の伝来。 |
天正 15 |
1587 |
最上義光・六十里越を越えて庄内に侵攻する。大宝寺義興は自害し、尾浦城は陥落する。この頃、六十里越街道の起点は山形 ( 城北 ) で終点は鶴岡の松根であり、その間の駅は11。 |
1573 |
室町幕府滅ぶ。 |
天正 16 |
1588 |
大宝寺義勝・越後の上杉景勝の支援を得て侵攻し、庄内平野に進出。庄内・最上の連合軍と対戦。 |
1590 |
豊臣秀吉の天下統一。 |
安土桃山 |
天正 17 |
1589 |
大宝寺義勝が上洛。 |
|
|
慶長 6 |
1601 |
最上家・庄内を領有。 |
1600 |
関ヶ原の戦い。 |
元和 8 |
1622 |
最上家・庄内の領地を没収され、酒井忠勝が拝領。 |
1603 |
徳川家康、江戸幕府を開く。 |
江戸 |
寛永 6 |
1630 |
この年の通行者、三万人位。 |
|
|
寛永 8 |
1631 |
庄内藩主・酒井忠勝、二代将軍秀忠の病の回復を願って羽黒山に祈る。
大網・七五三掛けが手向口と別れ湯殿山表口別当を名乗る。 |
1635
1637
1649 |
参勤交代制確立。
島原の乱 ( 〜1638 )
慶安御触書。 |
慶安 4 |
1651 |
三代将軍家光の病を酒井氏が代参して湯殿山に祈る。 |
|
|
寛文 10 |
1670 |
寛永義民の墓が建立される。 |
|
|
延宝 9 |
1679 |
本願寺の宗門改帳によると、出家23人、山伏10人、俗人14人、女15人、計62人の門前集落。 |
|
|
貞享 3 |
1686 |
大井沢の道路が改修され行者が増える。
( 多い年には18,000人 ) |
|
|
元禄 2 |
1689 |
八ツ楯通り一件。
松尾芭蕉、出羽三山を訪れる。五月二七日山寺、六月四日羽黒山南谷、六月六日月山。「 涼しさやほの三日月の羽黒山 」 「 雲の峰幾つ崩れて月の山 」 「 有難や雪をかほらす南谷 」 六月七日湯殿山 「 語られぬ湯殿に濡らす袂かな 」 六月一三日酒田、六月一七日象潟。 |
1689 |
松尾芭蕉「奥の細道」を旅する。 |
元禄 5 |
1692 |
四ッ屋新旅籠屋一件。 |
|
|
元禄 7 |
1694 |
四百文の落物をして入山許可証を得る。 |
|
|
享保 18 |
1733 |
湯殿山への八口からの行者、計157,000余人。 ( 最高 ) |
1694 |
芭蕉死す。 |
延享 2 |
1745 |
月山通過の行者、31,000人。 |
1716 |
享保の改革。 |
延享 3 |
1746 |
羽黒山山伏の全国報告書によれば三千七百八十。 |
1742 |
公事方御定書。 |
延享 4 |
1747 |
十八夜供養塔が建てられる。月山通過行者、18,000人。 |
|
|
宝暦 4 |
1754 |
行者が増えたため、中山町の分岐点に道標が建てられる。 |
|
|
宝暦 5 |
1755 |
忠海、即身仏を志して入定する。 |
|
|
明和 6 |
1770 |
山形における宿泊は八日町のみ。 |
|
|
天明元 |
1787 |
六十里越街道の要駅で宿泊地の山形の行者宿が旅篭町に行者を泊めるのを反対。 |
|
|
天明 3 |
1788 |
真如海、即身仏を志して入定する。 |
|
|
寛政 2 |
1790 |
羽黒山、真言四ケ寺を幕府に訴える。 |
|
|
寛政 8 |
1796 |
羽黒山本社炎上。 |
|
|
文化元 |
1804 |
注連寺衆徒十ケ院、大日坊に十二ケ院が属していた。 |
|
|
文化 11 |
1814 |
熊野神社旧神殿焼失。 ( 西川 ) |
|
|
文化 13 |
1817 |
三山掛先達の案内料六百五十文
( 経費と合わせて一人当たり一貫文 ) |
|
|
文政 3 |
1820 |
羽黒山本社竣工。 |
|
|
文政 5 |
1822 |
羽黒派世襲の山伏、全国に3,872人。 |
|
|
文政 6 |
1823 |
湯殿山供養塔が祭られる。 |
|
|
文政 12 |
1829 |
鉄門海病死。即身仏になる。 |
1825 |
異国船打払令 |
天保 4 |
1833 |
大飢饉に際し、六十里越街道を利用して庄内より内陸地方へ塩や米が運ばれる。 |
|
|
天保 6 |
1835 |
庄内侍従酒井左衛門尉・六十里越街道を通って江戸へ出府。また、秋田の殿様、佐竹左京太夫が参勤交代のために通ったという記録がある。 |
1837 |
大塩平八郎の乱。 |
天保 10 |
1839 |
本道寺で承認した行者以外の本道寺での宿泊を禁止。 |
|
|
安政 5 |
1858 |
現在の熊野神社が再建される。 ( 西川 ) |
1853 |
浦賀に米使ペリー来航。 |
慶応 3 |
1867 |
2万人以上の止宿人があり、1,400人は峠を越える旅人、残りが湯殿山参詣者。 |
1854
1858 |
日米和親条約。
日米修好通商条約。 |
慶応 4 |
1868 |
戊辰戦争、薩長軍は庄内酒井藩に侵攻するのに重要・戦略地として六十里越に主力が集中。官軍600余名、沼山と入間の松本に陣を構える。庄内軍200余名、本道寺に本陣を構える。入間森畑地内の戦闘で官軍勝利。長岡山で最後の激戦。桑名兵は白岩に逃れ六十里越街道に敗走。六十里越街道は湯殿山参詣の行者が通る程度で旅客少なく数百人位であった。 |
1860
1864
1867
1868 |
桜田門外の変。
長州征伐。
大政奉還。
戊辰戦争。 |
明治 |
明治 1 |
1868 |
六十里越街道の人馬駄賃、約6倍に値上がりする。
二十五銭の落物をして入山許可証を得る。 |
1868 |
明治維新。
五カ条御誓文。 |
明治 2 |
1869 |
湯殿山・羽黒山に酒田民政局から神仏分離令が達せられる。
羽黒の社号が出羽神社と確定する。
神祗宮により湯殿山は神山となる。
大日坊本堂火災、即身仏2体を焼失。
白岩で土産を買った行者は人力車で帰る。
月山・湯殿山両社が出羽神社と共に出羽三山神社となる。 |
1871 |
廃藩置県。 |
明治 11 |
1878 |
六十里街道郡費支弁道路となる。 |
1877 |
西南の役 |
明治 12 |
1879 |
山形県令、三島通庸が道路の整備開作に力を入れる。
「 内国通運会社 」 設立し、道路が維持管理される。
湯殿山入山参拝自由。
自由参拝許可。 |
|
|
明治 21 |
1828 |
臨時県会の記録に「寒河江-白岩-大網-岩本-鶴岡」右経費三分以内地方税とある。
|
|
|
明治 25 |
1892 |
七十五銭の落物をして入山許可証を得る。 |
1889 |
大日本帝国憲法発布 |
明治 27 |
1894 |
六十里街道が県費支弁道路となる。 |
|
|
明治 31 |
1898 |
新道建設工事開始。 |
1894 |
日清戦争 |
明治 36 |
1903 |
新道建設工事終了 ( 多くの人は旧道を利用 ) |
|
|
明治 37 |
1904 |
東橋竣工、新設の六十里街道完成 ( 田麦-大網-越中山 ) |
1904 |
日露戦争。 |
大正 |
大正 6 |
1917 |
東岩本橋工事開始 ( 1月 )
東岩本橋工事開通 ( 5月 ) |
1910 |
朝鮮併合。 |
昭和 |
昭和 2 |
1927 |
三山鉄道が完成する。 |
1923 |
関東大震災。 |
昭和 4 |
1929 |
東橋墜落、交通不能に。 |
|
|
昭和 7 |
1932 |
六十里街道新道工事開始。 |
|
|
昭和 9 |
1934 |
新・東橋竣工。六十里街道県道大改修 ( 田麦俣-大網-名川-熊出 ) |
|
|
昭和 10 |
1935 |
新六十里街道竣工式。白岩に自動車が入る。
この頃八日町の行者宿では昼の握り飯つき8銭で泊めていた。 |
|
|
昭和 11 |
1936 |
地滑りのため大日坊が移転再建される。
左沢線開通。 |
1939 |
第二次大戦 |
昭和 21 |
1946 |
月山・湯殿山・出羽の三山を合わせ「出羽三山神社」となる。 |
1945
1946 |
広島・長崎原爆投下。
ポツダム宣言受諾。
日本国憲法発布。 |
昭和 28 |
1953 |
六十里街道、二級国道112号に昇格される。 |
1950 |
朝鮮戦争。 |
昭和 40 |
1965 |
二級国道から一般国道112号に昇格される。 |
1956
1964
|
日本国連加盟承認。
第18回オリンピック
東京大会。 |
昭和 46 |
1971 |
月山道路工事着手。
羽黒山58万人、湯殿山81万人、羽黒山 |
1972 |
第11回冬季オリンピック
札幌大会。
沖縄返還。 |
昭和 50 |
1975 |
月山第一トンネル貫通。 |
1973 |
オイルショック。 |
昭和 51 |
1976 |
国道112号付替工事着工。 |
|
|
昭和 52 |
1977 |
寒河江ダム工事始まる。 |
|
|
昭和 56 |
1981 |
月山道路 ( 月山花笠ライン ) 全面開通 ( 31km ) |
1980 |
イラン・イラク戦争。 |
平成 |
平成 2 |
1990 |
寒河江ダム完成。 |
1986 |
ソ連・チェルノブイリ
原子力発電所事故。 |
平成 3 |
1991 |
六十里越街道の歴史小誌まとまる。 |
|
|