志心身ともに清めて聖地へ。ご神体は神秘的な赤い岩肌。
道順は大日寺から村の北端を通り抜け、大越川の橋を渡って八幡坂を上り、弓張平に出て北進し、志津に入る。そこから六十里越街道と合流し、湯殿山神社には大岫峠を上って行った。この参道は応永二十四年(1418)大日寺中興の祖といわれた道智上人が、自ら峠の道路改修に当たったと伝えられる。関東一円と米沢・長井方面からの利用者が多かった。
大井沢大日寺は湯殿山別当四ケ寺の一つ。江戸時代中期以後最も繁栄し、「湯殿まで笠の波うつ大井沢」と歌にまで詠まれた。
山形方面から来る行者たちは、志津から大岫峠、二ノ峠、スガヤ池を登り、湯殿山参籠所に出ていたが、現在はほとんど道もなく通れない状態で、もっぱら湯殿山有料道路(昭和37年秋開通、庄内交通専用路線、同38年有料道路許可)を利用して参拝している。 享保十八年(1733)の谷地町大町念仏講帳によると「丑之年湯殿山之参詣毎度沙汰致候よりは存之外参詣者有之、花ぞめ下金前々丑年より商内罷成候。白岩から奥山内は拾年計は寝て食程にもふけ申候由及承候。八口之道者一都合拾五万七千余有之候由」とあるのが一番多い数である。引用文中に八口とあるが、実際は羽黒□、注連寺口、大網口、岩根沢口、肘折口、大井沢口、本道寺口の七口である。それに荒沢口を加えて八口にしているらしい。 一方置賜地方にも湯殿山全盛時を物語るような、珍しい個人の家の「お行屋」が発見された(山形新聞、昭和37年2月7日付け)。高畑町細越地区で発見されたもので、お行屋とは、行者が湯殿山に参詣する際、籠ったというもので、母屋とは別棟の建物を特別に作り、そこに一〜二週間籠って家人その他との交わりを断ち精進した場所をいう。内部は畳敷であったらしいが、発見時は土間になっていた。真ん中の炉で一切の食事が賄われ、奥には祭壇が設けてある。三山掛軸や袈裟・衣等が入った柳ごうり詰めの箱も見つかった。箱には「文政八年(1825)七月湯殿山まいりのため」と記されていた。
湯殿山は標高1,504メートル、月山と連なり、その中腹に出羽三山の奥の院といわれる湯殿山神社がある。湯殿山大権現のご神体は巨岩とその岩の至るところから吹き出す温泉の源泉。巨岩は大小二つの頭を持っている。その二つの頭のうち、やや低くて小さい方を金剛界大日如来、少し高くて大きい方を胎蔵界大日如来と仰ぎ、二つの頭をもつ岩が一つに結ばれているところから、羽黒山の先達は胎金一致の大日如来と拝し、真言四ヵ寺の行者は金胎両部の大日大霊権現と崇める。 石塔お堂はもとより、名もなき石や道のいたるところには賽銭がばらまかれ、道を歩くときは気をつけないと滑って転んでしまうほどだった。ましてやご神体前や拝所は雪崩を起こすほどだったという。 行者はご神体の前の拝所へ行く前に、ヒト形の小さな和紙を自分の体のあちらこちらにつけ、そのヒト形を川に流す。自分の身についた不浄なものをいっさいヒト形にたくして流し、これはすべてご神体に近づくためのお浄めの儀式である。これでようやく登拝できるのである。 月山道路と湯殿山ホテル脇から仙人沢に向かう旧参道が交差するあたりに薬師小屋と呼ばれた祈祷所(注連寺・大日坊の仮設小屋らしい)が明治期まであった。20から30人くらいが宿泊できる広さで、床には笹が敷いてあったという。 仙人沢は湯殿山信仰の聖地で、一世行者たちがここで五穀断ち、十穀断ちをはじめとする行を長い年月をかけて行った場所だ。一千日、五千日の修業を終えるとその一世行者たちをたたえ、信者たちは湯殿山塔を建てていった。
湯殿山のご神体祈祷所 図 16
湯殿山 鉄はしご 図 17
湯殿山から月山への道の中でも「月光坂の難所」と言われ、登るも下るも骨の折れる最大の難所。現在では鉄はしごや鎖がかかっているが ( 上 ) 、庄内領郡中勝地旧蹟図絵 ( 下 ) でもその様子が分かる。
芭蕉の句碑がある
湯殿山祈祷所付近
志津の五色沼ほとりに建つ湯殿山碑。ここから月山、湯殿山の峰々が望める。
白装束の行者が絶えない湯殿山祈祷所
表 紙
歴史街道・見聞録 人と自然との調和を目指して
未来へと続く道のり
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三山信仰と六十里越街道
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現地調査一覧図 ( 内陸 )
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田麦俣から湯殿山へT
田麦俣から湯殿山へU
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古寺探訪 六十里越街道に沿って 作家 森 敦
発刊によせて
六十里越街道年譜
参考文献・資料
制作著作 国土交通省 東北地方整備局 酒田河川国道事務所