岩木川について

 
岩木川の治水に
   尽力した人々


   
・工藤行幹(くどうゆきもと)

   
小野忠造(おのちゅうぞう)

川の用語集



◎「小野忠土手(おのちゅうどて)」を築いた人物

小野 忠造(おの ちゅうぞう)

 安政2年(1855)北津軽郡三好村(現在は五所川原市鶴ヶ岡)に生まれました。当時の三好村は岩木川と旧十川にはさまれた袋地になっており、津軽平野の中で最も水害の多いところでした。

 幼いころから、洪水によって家や田畑を失った農民生活の悲惨さに接し、「津軽の人々の幸福は岩木川の治水なり」の信念のもと、私費をもって、五所川原乾橋から十三湖まで実測し、また、単身西・中・南・北の四津軽郡の山々を踏破して水源地を探り、岩木川一帯の地図と調査書を作成して、工藤行幹代議士及び県、内務省に提出して治水の促進を図りました。

 さらに、明治28年(1895)には、村人と協力して、五所川原市藻川地区に、1300メートルもの長さの堤防を築きました。水田を水害から守りたい思いからでした。人々は、この堤防を「小野忠土手」と呼び、小野を称えました。

 生涯を岩木川治水にかけた人物です。



             
「小野忠土手」跡の碑はこちら>>>

                  小野忠造の碑はこちら>>>



                
出典:「津軽平野と岩木川のあゆみ 岩木川治水史」
                                 「子どものための岩木川物語」



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