ふるさと歴史散歩
黒滝開削
置賜地区を流れる最上川は、五百川峡谷など難所が多く、舟の交通に難をきたしていました。
今から300年程前、上杉藩の御用商人西村久左衛門は、藩内の産物を最上川を下して北前船に積み込めば江戸や京、大阪との交流が可能なことに気づき、工事にとりかかりました。工事区間は白鷹町菖浦の黒滝から大江町の左沢までの32kmで、とくに黒滝の開削は困難を極めましたが、元禄7年(1694)には完成し、やがて人や物資の往来が盛んになり、現在の街並みの原型が作られました。
- 記念碑 黒滝開削300年を記念して建てられた碑です。
- 船玉大明神 京の文化を山形にもたらした最上川水運の唯一の記念碑で、往時の面影をとどめる貴重なものです。市街地から長井橋を渡った新虚空蔵山入口にあります。
- 黒滝稲荷大明神西村久左衛門が黒滝開削にあたり、境内地5畝21歩を寄進し、祠を修復、鰐口を納めて事業の成功を祈願したのが縁起となっている。黒滝開削にまつわる伝説では、大蛇の頭が祀られたと言われている。現在の拝殿は、明治17年の建立である。(白鷹町提供)
- 黒滝大明神 慶長16年(1611)の創建とされ、本願小関長兵衛とある。宝永4年(1707)創立以来、歴代別当芳賀彦三郎が維持管理を行っている。船乗衆の信仰を集めたものであろう。大蛇伝説では、尾の部分が祀られたと言われている。 (白鷹町提供)
川は地域の人々の生活や文化と密せつに関わっています。 置賜地区を流れる最上川では、とりわけ黒滝開削が大きな影響を与えました。周辺には川にまつわる碑や祠がひっそり眠っています。 また、伝説や民話などにもきっと出会えるはずですよ。