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北上川は源を岩手県岩手郡岩手町御堂に発し、岩手県の中央をほぼ北から南に流れ、一関市下流の狭窄部を経て宮城県に入り、登米市津山町付近で北上川と旧北上川に分派します。北上川は、石巻市北上町で追波湾に注ぎ、旧北上川は迫川・江合川と合流して、石巻市で石巻湾に注ぎます。
その流域には東に北上山地、西に奥羽山脈の高峰が連なり、これらの山地から流入する数多い支川を合わせて北から南に流下する、幹川流路延長約249km(全国第5位)、流域面積約10.150km2(全国第4位)の東北最大の河川です。
流域面積 | 約10,150km2 (東北1位、全国4位) |
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幹川流路延長 | 約249km (東北1位、全国5位) |
流域内人口 | 約143万人 |
想定氾濫区域面積 | 約1,082km2 |
想定氾濫区域内人口 | 約61万人 |
想定氾濫区域内資産額 | 約9.4兆円 |
北上川の流路の変遷は諸説ありますが、本格的な治水事業は藩政時代以降からと考えられます。江戸期には、仙台藩による改修が実施されました。伊達相模宗直による河道付替(「相模土手」)及び川村孫兵衛が実施した北上川・迫川・江合川の三川合流が有名です。これらの工事によって新田開発が活発になった他、北上川における水上輸送網が確立され、藩の財政を支えました。
明治期に入ってからも、国による工事は水上交通のための低水路工事が主体でしたが、明治43年の大洪水を契機に、洪水防御を主目的とした北上川第1期改修工事が開始されました。新河道の開削、追波川の拡幅、北上川の分流施設建設などが実施されて昭和9年に完了し、現在の北上川と旧北上川の形になりました。
戦後、カスリン台風、アイオン台風により計画流量を大幅に上回る洪水が発生して流域では大きな被害を受けました。このため、上下流一貫で治水計画を見直し、戦争により中断していた上流の5ダム(四十四田、御所、田瀬、湯田、石淵)と鳴子ダムの建設が促進され、昭和56年に最後の御所ダムが完成しました。近年では一関遊水地の整備が進み治水効果を発揮しているとともに、旧北上川分流施設を改築し、平成20年4月から運用しているほか、平成25年には石淵ダムの機能を増強した胆沢ダムが完成しています。