赤川の概要

赤川は、山形県の西部に位置し、その源を山形、新潟県境の朝日山系以東岳(標高1,771m)に発し、大鳥池を経て渓谷を流れ、鶴岡市落合において右支川梵字川が合流する。さらに、広大な庄内平野を北へ流れ、鶴岡市を貫流し、左支川内川、大山川等の支川が合流して、酒田市南部の庄内砂丘を切り開いた赤川放水路により日本海に注いでいます。赤川の幹川流路延長は70.4km、流域面積は856.7km²の一級河川です。

酒田河川国道事務所は、この赤川の中流部から下流部にかけて(38km)の改修と管理を担当しています。

河川名の由来
 赤川の呼び名は、湯殿山霊場に供える浄水の意味の閼伽(あか)の流出したところから、この名が付けられたという説がある。また垢川ともいい、水源が霊山出口の門口にあたり、登拝者は垢を落して清くするというところから呼ばれたともいわれている。

改修の経緯

年次 事項
慶長6年~元和8年
(1601~1622)
最上義光により東岩本(鶴岡市)~押口(鶴岡市)に川筋固定
明治18年~23年 赤川筋水利土功会(東西両田川郡町村連合会管理)を設立、河身改良工事実施
明治18年~34年 内務省直轄低水工事(押切~最上川合流点)
大正6年9月 直轄改修工事に着手。当初計画流量決定
大正10年~昭和17年 赤川放水路開削工事(通水は昭和11年)
昭和16年 第2次流量改定。昭和15年の出水により赤川旧川を使い最上川に一部合流するよう計画変更
昭和24年 第3次流量改定。赤川は最上川から完全に切り離す計画変更。荒沢ダム計画
昭和25年~30年 荒沢ダム建設
昭和28年 第4次流量改定。八久和ダム計画
昭和28年6月 最上川と赤川を分離する締切工事が完成
昭和39年6月16日 新潟地震により堤防被害
昭和42年6月1日 工事実施基本計画決定(一級河川指定)
昭和44年8月7日 戦後最大洪水(熊出地点Q=2,200m3/s)
昭和51年3月31日 第5次流量改定(現計画)
昭和51年~平成13年 月山ダム建設
昭和61年~ 赤川放水路拡幅事業
昭和62年~63年 赤川災害関連緊急事業(昭和62年8月洪水で横山、押切観測所でH.W.Lを超過)

赤川流域図