「コンパクトシティの視点からの地域づくり」(基調講演)
 鈴木浩(福島大学教授)

はじめに
 東北地方建設局の頃、東北地方の都市づくりやインフラ整備を、この経済・社会情勢の中でどのように進めていくべきかという課題を検討するため、平成8年に未来都市研究会が設立されました。そこで我々がある種の解答としてイメージしたものが「コンパクトシティ」でした。
 これまでの高度経済成長時代における右肩上がりの都市計画の発想を、本気で切り替えなくてはならない時期にきていますが、既に市街地が拡散してしまっているなかで、より効率的な都市形成を行っていくことは現実的には非常に難しいものです。特に地方自治体にとって市街化区域への編入や農地が宅地になるということで生まれる固定資産税はかなり重要な財源であるがために、ここを切り替えることができるかが大きな課題となっています。


「コンパクトシティ」の潮流
 「コンパクトシティ」という言葉は、ダンツィクとサアティという建築都市計画の専門家により1973〜74年に著書『コンパクトシティ』で初めて用いられました。2人はオペレーションリサーチの専門家であり、最も効率を良くする都市の姿を「コンパクトシティ」として考えました。「コンパクトシティ」は人間の豊かな生活への考慮に欠け、非人間的なものではないかというような意見が今もあります。1996年に出版された『The Compact City』(ジェンクス著)では、「コンパクトシティ」についての反対論、賛成論、中間的な意見が紹介されています。
 1990年ECが『都市環境に関する緑書』を発表しました。ここからサステイナブルシティをECの都市づくりの戦略とし、その中でコンパクトシティという考え方が生まれました。
その後、1992年にリオネジャネイロで行われた世界環境会議の中で、サステイナブルディベロップメント(持続可能な開発)というキーワードが生まれ、資源や環境の問題が各国、地域で徹底的に議論され、世界中に大きな影響を及ぼし、サステイナブルシティやコンパクトシティという大きな流れを生み出しました。その後、ECの各国はサステイナブルシティの呼びかけに基づいて都市計画に取り組みました。1994年には、EUが『ヨーロッパ2000+』という提案を行い、ヨーロッパの各都市を広域的なネットワークで結びつける戦略を立てています。さらに1996年には、EUのサステイナブルシティ・レポートで4つの原則(都市管理・包括政策・エコシステム・協力と連携)を進めていく提案をしています。
 しかし深刻的問題を解消していくためには、地域再生の具体的な戦略が必要となっています。そのため1996年に、更に本格的な戦略をサステイナブルシティ・レポートとして提案しています。一方、同時期にジェンクスは、「コンパクトシティ」には非人間的要素があり、人工的な環境を更に形成してしまう恐れがあるということを丁寧に検証しています。また1999年にはイギリスのフレイが『都市をデザインする−よりサステイナブルな都市形態を目指して』を出版し、「コンパクトシティ」は賛否両論であり、まだまだ議論する余地を残していると謳っています。
 イギリスの政府のシティ・チャレンジがサッチャー政権以降動いていますが、その中で中枢的な役割を果たしてきたリチャード・ロジャースの『都市、この小さな惑星の』では、「コンパクトシティ」は巨大化した都市に対してのコンパクト化の意味、地方都市にコミュニティを成立させていく必要性を示しています。
 
日本の動きとしては、1995年の阪神大震災を契機として、大都市が地域力(地域社会としての力)を高めていくためには、「コンパクトシティ」を目指すべきという神戸市長の声明から、「コンパクトシティ」が始まりました。
 日本のコンパクトシティの考え方は、大都市と地方都市において大きく2通りの潮流から生まれてきました。大都市では安心安全の地域社会にしていくために、都市をある程度事実的な単位に組み替えることが必要となってきたことです。大都市の巨大システムは効率性に長けていたかもしれませんが、都市の安全性を考えると、一部の被害を受けても別のシステムが対応するような体系が必要であります。地方都市では広域連携を図るためにインフラ整備を行うことが沿道に経済効果を生み出しますが、結果として中心市街地を拡散させていることが背景にあります。広域連携はますます必要となり、一方で地域経済、地方財政が縮小する中、それぞれの都市において整備、投資をコンパクトに抑え、新しい公共投資を生み出す工夫が必要であります。これらの点で、大都市と地方都市で受け入れようとする「コンパクトシティ」が異なります。しかし、セーフティネットとして地域社会やコミュニティの再生をしていくことは大都市も地方都市も同じであります。日本では、国、地方を挙げてコミュニティ再生を課題として明確に位置づけるということがほとんどなく、2003年10月、内閣に地域再生本部が設立されましたが、少し立ち後れている感じが致します。


東北地方で考えられる「コンパクトシティ」
1. 人工的なものを加える都市計画の概念を軌道修正すること
2. 新たな社会システムを投影した都市の姿を視野に入れ、自律的な地域社会を再生すること
3. 農村、あるいは農業の将来の展望を切り開き、市街地と周辺の農村部との豊かな連携を取り戻すこと
4. モータリゼーションを前提とした都市のあり方から軌道修正すること
5. 一定のルールや原則のもとに複合的な土地利用や高密度な土地利用を促進すること
6. 時間の概念を重視した住宅・都市施策を行うこと




「コンパクトシティ」に関る最近の動き
■公共事業の展開とコンパクトシティ
例えば東北地方の公共事業を見ていく場合に、バイパス建設は「コンパクトシティ」の発想と逆行するような道路づくりになってしまっている事態が見受けられるので、都市計画の中で考えていく必要があると思います。
■広域まちづくりの課題
以前は中心市街地などの縁辺に建てられた大型ショッピングセンターが、都市間の無指定地域にできる傾向が強くなり、両方の都市を購買圏としています。日本の都市計画や地域計画は、無計画地域があり、そこを狙って建てられているため、中心市街地の空洞化の拍車が両方の都市にかかるという問題があります。しかし町村にとっては財政的な意味でも、地域活性化の意味でもかなり魅力的なプロジェクトとなっています。
■「地域居住支援システム」の構築
これからはまちなか居住を考えていかなければなりませんが、自治体の借り上げ住宅制度を活用したまちなかの公営住宅や、民間のマンション業者による高齢者対応のサービスを備えたマンションなどの先行事例がありました。現在私は墨田区内に生活相談、年金相談、健康相談、住宅介護相談などを、専門家に受けてもらえるNPO拠点を数十箇所つくることを区役所と一緒に展開しています。
また不動産の現象として、高度経済成長により宅地開発され購入した郊外住宅を、高年齢となりマンションへ引っ越そうと住宅を売却しようとするが買い手がつかなくなるような「使い捨て住宅、使い捨て宅地」が起きています。つまり、わずか一世代のためにだけ宅地開発をして、一世代のためだけに住宅を開発したということになります。


おわりに
 これからは、東北地方全体の社会資本整備、地域再生構想を、東北各6県、主要都市、東北地方整備局等の方々と、共通のシナリオを考えていくことが必要であると思います。



参考

※1「コンパクト・シティ」/G.Bダンツィク、T.Lサアティ著
「コンパクト・シティ」日科技連出版社 1974/森口繁一監訳、奥平耕造、野口悠紀訳
著者はOR(オペレーションリサーチ)の専門家であり、都市問題をエネルギー効率優先の高密度人工空間によって解決しようという提案を行った。


※2「The Compact City」/マイク・ジェンクス他著
1996年から2001年にかけて刊行された三冊のコンパクトシティシリーズ。
1975年、ダンツィクとサアティにより最初に提案された「コンパクトシティ」に対し、賛成、反対、中間的立場に立つ各々の著者らにより記述された、製作評論・調査研究・計画紹介等を集めた「The Compact City: A Sustainable Urban Form?」と、サステイナブルな都市の要素の定義化を試みた「Achieving Sustainable Urban Form」、アフリカ、アジア、ラテンアメリカの発展途上国におけるコンパクトシティの利害を考察した「Compact Cities: Sustainable Urban Forms for Developing Countries」がある。

表:コンパクトシティ−持続可能な都市形態を求めて−/海道清信監修、神戸市コンパクトシティ研究会翻訳より


※3「都市をデザインする−よりサステイナブルな都市形態を目指して」/フレイ著
エネルギー消費だけに焦点を当てるのではなく、社会的、経済的、環境的な幅広いスタンスで都市のあり方を考えるべきだと述べている。


※4「都市 この小さな惑星の」/R.ロジャース著
建築家による環境的視座を中心に据えた現代の都市論。現代都市の抱える様々な問題を浮き彫りにし、サステイナブルでコンパクトな都市を提案している。

図:都市 この小さな惑星の/R.ロジャース著より
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