第4回コンパクトシティ研究会 基調講演

「地方都市における『まちなか居住』の進め方」
−上尾のまちづくりから学ぶ−
  福井大学 野嶋慎二 助教授

福井大学の野嶋でございます。
地方都市における「まちなか居住」の進め方ということで、今日は上尾のまちづくりの事例についてお話しさせて頂きます。

都心居住とまちなか居住の違い

まず、都心居住とまちなか居住は違うということおさえておきたいと思います。都心居住問題が1980年代の大都市を中心に起きました。要するに、東京をはじめとする大都市の都心部に業務ビルの需要が高まって、地価負担力の高いビルをつくったために、住宅が追いやられてしまい、住宅がだんだん少なくなってきたということです。また、土地等級や地上げにより空地ができました。空地ができると当然居住環境も悪くなり、駐車場も出来るため、なかなか住み続けられない状況が起きていました。ということで、この都心居住問題というのは、住宅需要が減ったということではなくて、業務ビルに追いやられたために起こったと思います。それを裏付ける現象として、地価がだんだんと下がってくるにつれて、都心回帰が起きたのだと思います。

都心回帰の政策として、例えば台東区では「新婚さんいらっしゃい政策」といいまして、新婚に5年間家賃の補助を行ったり、あるいは住宅供給するときに、ディベロッパーに一戸当りに補助を行い、床を増やしていくようなことをやったり、また、よくあるのは、業務床だけではなく、住宅床をつくることによって、容積率を緩和するということが主に起きていました。要するに、金銭面や容積率緩和で補助を行い、住宅床をつくることを行ってきたわけです。
例えば山の手に住宅を構えるといい生活ができるのではないかとか、はっきりと都心部での住まい方が見えているわけです。住まい方が見えている中で、家賃補助や住宅の供給をしますと、割と効果があると思います。


まちなか居住を推進するためには

地方都市のまちなか居住は大きく違っていまして、業務床が中心部から郊外へ出て行くと、当然商店も住宅も出ていき、要するにまちなかに住むという需要がなくなってきていることが非常に問題になっていると思います。都心居住政策が行ってきたように、容積率の緩和や家賃などの金銭的な補助は、確かに効果はあるかもしれませんが、大都市の都心居住政策ほどうまくはいかないと思います。福井市も、一戸当り100万円という補助をしましたが、利用する業者がいないというのが現状でした。ですから都心部に住むとこういう住まい方ができる、こういうメリットがあるということがわかったときに、初めてまちなか居住が進んでくるということが前提としてあるのではないかと思います。都心居住問題とは様相が違い、中心市街地活性化の施策として、都心居住を進めるというスタンスで福井市もがんばっているのですけれども、実は逆で、まちなかに魅力がないと、都心居住も進んでいかないということがあります。

福井市の中学生に、福井市の都心部はどこかと聞くと、平気な顔で郊外のショッピングセンターのコパと答える人がいます。中学生の目から見ると、中心市街地は郊外の大規模ショッピングセンターです。ショッピングセンターの周りにマンションが立地する現象が起きています。地方都市の人にとって、本当の中心市街地よりもショッピングセンターの方が中心市街地となっています。そういう住まい方が、郊外で一番問題になっているのではないかというところを今日はお話ししたいと思います。


まちなかでの多様な住まい方

まちなか居住の多様な住まい方として、いくつか事例をお話ししたいと思います。
まず一つ目は観光です。地方都市は観光に頼っているところがありまして、来訪者とまちなか居住を、どういう関係性をつくっていくかというところが重要ではないかと考えております。皆さんご存知のように、昔は神社仏閣観光をおこなって、テーマパークをつくっていれば良かったのですが、いまはツーリズム観光というものに変わりました。まちなかツーリズムという言葉もあるように、何かを観るというよりも、体験し、その文化や生活に触れる、人に触れるというような観光形態に変わっています。そのためには、やはり人が住んでいないと生活文化も発信できませんし、来訪者も満足しないという状況があるかと思います。一方で、いま発進型居住と言っているのですが、要するに生活文化を発信しながら自らの生活の質を高めていくというような住まい方があるのではないかと思います。例えば『作家と接する機会の多かった主婦が、若手作家の発表の場をつくるため、ギャラリーと趣味の中国茶を提供するカフェを始めた。』とか文化や歴史の展示ということで『小間物商を営んでいた当時の櫛やかんざしを展示し、店内の一部をミニ博物館にした。』というように、中心市街地に住みながらこういう事を行っている人たちが結構います。また物品展示ということで『母がアンティーク雑貨の収集家であり、お菓子作りが趣味の娘がそれらの雑貨を店内に展示したカフェを始めた。』とか、『店内に工房を設置し、来訪者がガラス工芸の創作風景を見られるようになっている。』というような店舗のような住宅がだんだんとでてきています。来訪者もこのような生活文化に触れたいし、住んでいる人にとっても生活文化を発信するということで、生活の質を高めていくというような住まい方が中心市街地で結構出てきているということがあります。長浜市の中心市街地の住宅地にいくつかこのような住宅が出来ているというところです。ならまち※は、ほとんどが住宅地で、ばらばらとそのような住み方の人たちが出てきています。
※ならまち・・・奈良市の旧市街地エリア

二つ目は『景観形成とまちなか居住』ということで、大野のインフィル型※借上げ公営住宅ですが、空地にインフィル住宅を建てて景観を整えています。ここは城下町なので、町屋型スタイルの街並みが連なっているのですが、住みたいという人が結構と思います。例えば京都で町屋に住みたいという人がいて、町屋を改装してたくさんの人が住んでいるということもありますし、あとはきれいな景観づくりしている住宅に住みたいという要求が結構出てきているというところです。これは町屋の連続性を保ちながら、地主が住宅をつくります。その住宅を大野市が借上げ、公営住宅にしています。前面が2階建ての町屋型スタイルで、奥が3階建ての住宅をつくっています。大野というのは人口4万くらいの小さな町で、まちなかの空洞化が当然起きていましたが、これができて一クラス増えたという状況が生まれています。目に見える人口の増加に貢献しているのではないかと思います。
※インフィル型・・・構造を気にせず自由にインフィル部分(内側の床、壁、天井、水周りなど)の変更を行うことができる。

三つ目は、『福祉とまちなか居住 誰もが安心して住み続けられるまち』ということで、どこでも言われることではありますが、まちなかというのは高齢者居住に向いてのではないか言われています。これまでの福祉というのは、福祉施設介護で、施設が郊外のところにあるため、中心部で住み続けてきたおじいちゃん、おばあちゃんが住み慣れない地域で住まざるを得ないという状況が続き、生活の継続性がないのはいけないと、最近施策ができてきました。要するに、在宅介護で365日24時間安心して住めるシステムづくりをつくろうとしています。その時に、まちなかというのは本当に高齢者居住に向いているのかということですが、条件としてあると思います。

条件の一つ目は、歩いて暮らせるまちであるということです。徒歩圏に生活を支える施設があって、買物やアメニティなどの施設が歩いていける、そして公共交通に乗って移動できる状況にないとダメであろうということです。

条件の二つ目は、高齢者に適した住宅があるということです。これも当然グループホームやコーポラティブハウス、コレクティブハウスといった、その高齢者のニーズに合わせた多様な住宅がその中にあるということが必要ではないかということです。

条件の三つ目は、支え合うコミュニティがあるということです。当然、施設だけで高齢者を支えられるわけではありませんので、みんなで支え合うコミュニティが出来ているのかということが必要です。そのためには、高齢者が介護している若い世代や子育て世代などの介護する側がいなければなりません。多世代混住という前提条件としてあるわけです。

支え合うコミュニティともうひとつは働く場というのがありまして、高齢者も地域で働く場があって、地域の中で完結した経済が動いているということも必要だと思っております。

条件の四つ目は、在宅サービスが生活圏域で完結しているということで、24時間365日の包括ケアが在宅でできているのかということが条件になって、初めてまちなか居住が高齢者居住に向いているという事だと思います。

これはあまり関係ないのですが、先日長岡こぶし園の園長の小山さんと一緒にシンポジウムをやらせて頂きました。先ほどの住み替えのお話にもありましたが、大規模な施設が、地域の中で解体されて、サポートセンターができて、配食サービスを行ったり、ホーム介護を行ったり、デイサービスを行ったりするというようなシステムが必要だと思います。長岡の事例ですが、サポートセンターというのがデイケアサービスとか、ケアプランセンターが中心市街地の中にいろいろ小学校単位でいろいろネットワークを組ながら動いています。

四つ目は、『伝統工芸産地における居住』ということで、これは今立町で、和紙を生産している有名なところですが、伝統工芸師(高齢者が多い)が、仕事を持っているために活き活きと暮らしているという状況があって、福祉という住み方がひとつあるのではないかという気がします。

最後に、まちなか居住で問題なのは、子育ての環境に適していないということで、住環境を改善していく必要があると思います。大野には、空き地が結構あるため、空き地を暫定的に緑化していこうという計画を立てました。駐車場を環境パークにして緑豊かにする、あるいは防災の拠点にしながら有効に利用するといった計画を立て、街なみ環境整備事業を計画して実現しようとしています。以上のように住み方を考えていく必要があるのではないかということで、説明させて頂きました。


まちなか居住の進め方−上尾のまちづくりから学ぶ−

それではまちなか居住の進め方という本題に入ります。
10年くらい前に上尾のまちづくりというのは木造密集市街地の再編の方法として有名になりました。上尾駅から徒歩5分くらいの場所に木造の不良住宅がかなり密集していました。この場所をどうやって開発していくかというときに、例えば東京の木造密集地域を全部建て替える、全部を再開発していくことは、とてもできることではありません。また、区画整理するともできないため、修復型まちづくりということで、ポケットパークや防災拠点をつくるといったことしかなかなか進まなかった状況がありました。そこで、ここでは共同住宅をいくつか建てることによって、インフラ整備をし、ポケットパークもつくっていこうという事業を行ったわけです。これは非常に新しいやり方で、今まで誰も見たことがないようなやり方を実現化したということで評価されて、学会賞ももらったプロジェクトです。やはり木造密集の再現方法としての成功例ではありますが、僕は別の見方をしていて、都心居住を再編する方法として上尾のまちづくりから学ぶことが結構あると思いますので、その辺について説明させていただきます。

上尾駅は東京から50分くらいの場所で、昔は宿場町でした。宿場町の典型としては、街道に沿って短冊状の細長い敷地が並んでいるという特徴があります。ここ周辺を行政が一体的な計画を立てて、ここをモデル地区として再編しようとしたわけです。
この街区の状況としましては、街区の真ん中は接道条件を満たしていないために、建築基準法上、建て替えができないため、原っぱになってきていました。もうひとつはベットタウンということもあって、8階建てで、容積率400%のマンションが建ってきたため、日影ができて、ジメジメし、なかなか住みづらくなってきたという状況があります。
結果、郊外化も進んでいたため、そこに新しいものも建てず、子どもが出て行くという状況でした。ビルと駐車場ばかりで、コミュニティが薄れていました。要するに路地がなくなってしまったのです。路地というのはコミュニティにおいて非常に重要なものだったのですが、ペンシルビルが建ちますと、塀を建て、路地が無くなり、分断されていました。そのため、環境や景観上の負荷、あるいは路地のコミュニティの喪失が生まれてきたということです。ペンシルビルは景観上良くないし、空き地が出来てくることで、非常に住みづらくなり、このままだと人が減り、容積率いっぱいのビルしか残らなくなってしまいます。このようなビルというのは持続性が無くて、古くなるとだんだんと空いてくるという状況が生まれてきます。このようなビルと空き地がある都市像は、どう見ても魅力がないため、住民の方もこれはマズイということで、この計画が進んだわけです。
まちをどうしようかということで、当然地方都市では区画整理をしていこうという話になってくるのですが、上尾でも道路をまず通してしまおうという計画が、ひとつの選択肢としてありました。しかし、住民が求めるのは道路という話ではなくて、住み続けたいという気持ちが強いということがありましたので、共同プロジェクトを立てることによって、道路を繋げ、ポケットパークもつくっていこうという計画になったということです。
それで次の計画案はスケールを小さくし、路地も残しながら、ポケットパークもつくるという計画に変わってきました。4つのプロジェクトを行ったのですが、地権者の人、例えば土地所有者が7人、借家権者が21人もいるところなど、それぞれ状況が違うのは再開発ですから当然ですが、それを地元に入ってまとめたとことが、ひとつの都心居住の方法としてあると思います。

上尾の第一号のコーポ愛宕です。ペンシルビルと比べると2階建てに近く、許せるということでした。地方都市の人から見ると大きいと言われますが、東京では小さくしている方だと思います。切妻屋根にしてスケールもダウンさせて、街並みに合うようにして、路地もつくっています。
2つめはオクタビア・ビルです。同様で、中庭や路地をつくりました。
3つめはシェブロン・ヒルズで、バブルの真っ最中で地価が相当上がったときで、容積率は230%で、230%を越すとかなり環境が悪くなっていることが分かると思います。ここのパティオを見ますと真っ暗になっています。やはり230%を越すとまずいなという気がします。コーポ愛宕が180%くらいなので、容積率はそれくらいまでかなと思います。
最後のプロジェクトは緑隣館です。敷地が大きいということもありまして、大きな公園も取り入れながら路地をつくっています。

これが上尾のプロジェクトの概要ですが、ここから地方都市のまちなか居住において何を学んだらいいのかというと、僕なりの考え方をお話ししたいと思います。

まず、全体計画の中にモデル地区を位置づけたというのが大きいと思います。家賃補助や容積率緩和は広い範囲でかけられると思いますが、目に見える成果が欲しいというころで、その時に中心市街地全体で住宅まちづくり計画のようなものを立てて、その中でモデル地区を位置づけて住宅まちづくりを進めていこうという方法を用いたことが上尾のまちづくりが成功した最大の要因ではないかと思います。ここではプロジェクトが連単しているので、まちが変わっていく様子がよく分かります。例えばこれがポツンポツンというプロジェクトであれば、これほど話題にはならなかったと思います。モデル地区でしっかりと住宅地のモデルを住民に見せていったことが、非常に記憶に残ると思います。是非福井市でもやりたいのですが、なかなかそういう機会がないのですが、やはり住宅町づくり計画を詳細に立てて、そこでモデル地区を位置づけるということが必要ではないかと思いました。

モデル地区の採択要件を、ここでは住宅の不良度※ということで、50%以上を不良度にしているところを選びました。そして商業活性化ゾーンなどの街区ごとに住宅まちづくり計画を立てて進めました。
※不良度・・・省令で定める構造又は設備の状況

2番目は、先ほど言いましたように、単体の高度利用ではなく、理論的なまちをつくることで住宅を増やしました。例えば容積率400%の建物にすると、150戸くらいの建物ができるわけです。150戸ということは、400人500人住めるのですが、上尾のまちづくりではひとつの大きい建物をつくっていくまちづくりでは、まち全体として魅力がなく、住み続けられないのではないかということで、ここでは容積率のダウンゾーニングというのをしています。容積率400%を200%に落としました。幹線道路は8階建てで、内部は5階建てに落としました。これは住民がペンシルビルを拒む意思を表し、行政やコンサルがダウンゾーニングを図り、それに住民が合意したことにより実現したのだと思います。

3番目は、住宅供給とまちづくりを行いながら、コミュニティ、環境、都市施設、(福祉)が改善されていく計画・仕組みをつくったことです。先ほども言いましたが、道路をつくるということではなくて、住宅づくりをまず考えて、だんだんとまちが改善されていくことです。プロトタイプを街区に埋め込んでいくことによって、だんだんと緑が出てきた、あるいは福祉が改善されるといった仕組みをつくったとことが、ひとつの評価点だと思います。そのためには、全体をコーディネートする仕組みや人が必要だということが言えると思います。

4番目は住まい方の提案です。ひとつはミクストコミュニティといって、まず地権者の住宅が入っています。また新規の賃貸者を呼び込むため、特優賃を使っています。先程借家人が21人と言いましたが、その人たちが家賃1万、2万で住み続けられるように、コミュニティ住宅を埋め込んでいます。それから分譲住宅もあり、良いか悪いかは別として、ミクストコミュニティを実現したということです。
もうひとつは、先ほどの中村先生の事例にもありましたように、親子の近居を実現したということがあります。このプロジェクトを行うことで、東京に出て行った子どもが戻ってきて一緒にプロジェクトを行っていこうと、その中で、相続税を子どもに移して生前贈与して、一緒に住み続けられるようにしました。また、親子近居の集合住宅をつくることで促進していくという状況も生まれていました。

5番目は、事業ありきではなく、生活要求から取り上げていくということです。最初に道路整備を行い、集合住宅をつくり、そこに住もうというプロセスではなくて、住まい方というのはどうなんだということを考えて、まちをつくって、事業をつくり直すというプロセスをつくっていったということです。住み続けたいという生活要求があって、住み替えに対応した道路事業を行ってきたということです。これも行政が目標とする中心市街地活性化、あるいは都心居住の促進等と合致したということが言えるのではないかなということです。

6番目は、実現化の事業モデルをしっかりつくっていったことで、やはり事業をやる人に対して支援と安心感をいかに持ってもらえたかということが大きいと思います。この時期は多くの合併施行で事業を行っています。市街地再開発事業や補助金を貰ってコミュニティ住環境整備事業で公共用地をつくり、それを売ることによって県道拡幅の事業費に充てたり、特優賃を使ったりしたことが要因だと言われています。確かにそうですが、もうひとつ重要なのは、地権者の方に聞きますと行政の信頼感、行政が一生懸命やってくれているというところで、信頼感をもちながらできたということです。そのような信用保証はどこまでやるのかは問題として残りますが、モデル地区としてバックアップしていったというところが実現化の要因であったと思います。

7番目に様々な立場の人の生活再建ということで、上尾では事業者への支援として子供世帯が戻ってくる、あるいは相続税の解決を行っている、また新規居住者にはアフォーダブルな住宅をつくる、弱小権利者の人たちに対しては元のコミュニティで住み続けられるようにするなど、様々な人に対して生活再建を行っていくようなことをしていきました。地方都市のまちなか居住もこういうことが大変で、まちなかの高齢者が安心して自分の家に住み続けられることができるのかを、生活再建をして住宅政策をしていくということも考えられるのではないかと思います。また、子どもたちが郊外に出てしまった人が、どうやってまちなかに戻ってこられるのかというのはなかなか難しい問題ですが、やはり住宅を売り買いするというシビアな金銭的な問題が絡みますが、どこまでバックアップできるかというのが難題だと思います。先ほどもお話ししましたが、郊外にいる高齢者がまちなかで住み続けられるためにどうするかという視点が必要なのではないかと思います。そのためには、きめ細かい改良とそれを支える組織、簡単に言うとシステムづくりが必要だと思います。

8番目ですが、多主体の連携の実現ということで、いろいろなところで言われていますが簡単にはできない状況にあります。上尾も住宅政策とまちづくりが連携したと言われていますが、トップレベルのところで連携していたわけではなく、出先機関の事務所の中で連携していたわけです。上尾駅周辺整備事務所にいろいろな課の人が入り、横断組織をつくって進めていたということです。要するにプロジェクト組織ですのでこれができるのです。ですから、ボトムアップ事業から政策へということで、ボトムアップで連携しないとなかなかできないということがあると思います。トップレベル、上の組織の連携はなかなか難しいので、ボトムアップとかプロジェクトレベルで連携していく、そしてそれが住宅マスタープランに位置づけられたのですけれども、逆にボトムから政策に転換していくというようなことも必要なのではないかと思います。地方都市ですから、庁内各課の連携や市民組織、自治会との連携とありますけれども、ボトムアップによって連携していたことが大きいのかなという気がします。

以上になりますが、金銭的な補助も当然必要ですが、住まい方というのはどうなのかを考えながら、それを基本にして、そこから計画や事業へとプロジェクトをつくっていくことも必要なのではないかなと思います。

 

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