ヨーロッパの都市はすごく広場が賑わっている光景は、住環境が非常に悪いことと表裏一体であることもあるわけです。つまり、うちの中にはとてもいられないから、公共の居間として広場を利用するわけです。例えばバルセロナは、 1980年代後半からアメリカの現代アーティストを大胆に導入して、ニューデザインの広場をいくつもつくりました。そこにあらゆる人が賑わっているため、現代アートにはこんなに人を集める力があるのだと日本人は錯覚したわけですが、実はそうではなくて、もともと工場労働者が住んでいた疲弊した地区で、工場が閉鎖されてしまって、住宅地しか整備されてなく、マンションの面積も40〜50haくらいのところに、工場で働いている人たちの家族が住んでいたというかなり居住環境が悪いところでした。工場が閉鎖されると失業者がその周りに増える。そのため工場跡地を利用して公共な広場を整備すると、狭くて薄暗い部屋にいるしかないという人たちが集まります。厳しい現状の中で広場が賑わっていることが根底にあるということを、見落としてしまうと勘違いしてしまうということです。それから気候風土の影響ですが、必ずしも寒いところでは広場に賑わいがないというわけではないと思います。コペンハーゲンは、1960年代から歩行者中心のまちづくりを進めてきて、寒い時にコートを着込んで屋外のカフェにいる風景をよく見ます。
日本ではどういう空間がいいのか、それが広場なのかどうかは、考える必要があると思います。最も重要なことは、先程の山形市の見た目には賑わいそうなのに寂れているという話でしたが、千葉市は良くも悪くも都市計画が行き届いたところで、千葉駅前通がきれいに整備されています。クリスマスのイルミネーションがすごく綺麗なのですが、賑わいがありません。都市モノレールが通っていて、都市的なダイナミズムを感じられる空間的にはできていると思うのですが、空間的によくできていても、決して賑わいがついてくるとは限りません。社会と空間をどう関連づけていくかというのが重要であって、私は日本の中心市街地に広場があるというのはいいと思うのですが、それはそこに住んでいる高齢者の人たちと外来者の人たち、あるいは旅行者の人たち、郊外に住んでいる人たちなどいろんな人が集う良い場所になっていることが重要です。なかなかそういう場所が他のところにはないからつくるというような社会的なことを考えずに空間をつくる楽観論がいけないのかなと考えます。 |