私の友人が編集している本で、『ファ−スト風土化する日本』という本が洋泉社というところから出ています。都市計画の研究しながら、私が長いこと追いかけてきたのは、例えばそれぞれのまち、地域の不動産を法務局に聞きまして、土地台帳をつくって、町丁ごとに土地がどのように所有権が移転したり、分割したり、その所有権が相続なのか売買なのかを追いかけてきました。分かったことは、郊外居住で一代限りの住宅地供給という様相になりつつあることです。これをある都市計画の専門家は、焼き畑農業的土地開発と言っています。焼き畑的に宅地開発をし、しかもそれが鉄道等のインフラがない丘陵地のようなところを目指してきます。鉄道沿線が一方では無人駅化する、一方では交通対策のために道路建設を進めないといけない、インフラの整備をあれもこれも全部やっていて、これは高度経済成長の時に許されたわけです。でもこれから確実に人口が増えない中でのまちづくり、都市計画をどうしようかという時代に入ったわけです。ここのビジョンがいま描けていないと思います。だから私はまちなか居住が絶対的にではなく、郊外の居住なら郊外の居住も重要だし、縮んでいくときに、どういう縮み方が美しいのかということを描かなくてはいけない。そのことが東北地方の中での都市計画あるいはまちづくりをみんなの考えでいかなくてはならなくて、あっちもこっちもという時代ではなくなったと思います。どういう重みづけをして選択をするかというのが重要となります。これは地方都市の習性の中で、わたしたちは自分たちのまちの将来像を豊かに描けるかどうかという時代に入ってきています。だからわたしはその選択肢として、まちなか居住というのは有力というつもりでいます。
一方で郊外居住は、ヨーロッパで言うと 1950年代、60年代はドイツでもフランスでも美しいむらづくり運動というのがひとつの潮流になっていて、都市型の居住地を郊外につくると言うよりは、自然との共生を目安とした郊外居住というのが中心です。日本の場合には所得水準との関係がありますから、東京で例えば60坪の宅地供給をする。では田舎に行ったらもっと大きな住宅地が供給できるか、実はそうは進まないわけです。所得水準が違うので、東京と同じように60坪70坪の宅地が供給されていて、これは田園都市の住宅地かなと思うことが起きていて、農村風景と相反するものをつくってしまいました。この中で、郊外居住はもっと農村との風景との調和を考えることがこれからは求められているのかなと。その点日本では中古住宅市場が成り立っていません。わたしたちの親が家をつくるときは、子どもが住む、孫が住むということを考えてつくられてきたわけですが、子どもが家を継いでくれると思って家をつくる人はほとんどいなくなってしまいました。住宅が70年80年持つようなものを供給していないのです。郊外居住を成立させるためには、中古市場をどう成り立たせるか。郊外にある住宅は、若い世代と入れ替わりができるかを考えなければ、郊外の交通動線や移動手段を確保する、まちなかの疲弊に対してどうする、そんな経済力や財政力はあるのかということを考えています。
もうひとつ、日本全体が少し荒っぽい言い方をすると、東京の植民地化しています。要するに、家づくりにしても、ショッピングセンターにしても、私たちが地域でものを買うと、財が全部東京に流れる仕組みになっています。それに抵抗しようと、福島県でこれから大型店の立地について、どういうコントロールができるか考えています。わたしは地域の中での経済や文化が循環する仕組みを作らないと、がんばっても進められない。それぞれのまちや都市が一定の戦略をもつべきであると思っています。 |