2年前に東北地方整備局の建政部が主催する住宅のあり方東北のあり方に関する懇談会に出た時に、公営住宅や県住宅の役割は終わったといっていた人がいました。今鈴木先生がおっしゃったように、本当に困っている人たちだけの福祉的な住宅をつくればいいのであって、例えば収入でいうときの 30%、40%で入ってくる人たちは民間に任せればいいというような言い方をされていたのを覚えていまして、もしそうであれば、パブリックなハウジングを進めていくために、民間のための支援や施策を公共が用意しておかないと、民間に任せればいいという言い方でやっていくのは責任放棄ではないかと思いました。そういう仕事は民間がすればいいという話ではなくて、では公共はこれからどういうふうに住宅政策にコミットしていくかというときに、実はこれまで公営住宅法のなかで、手が及ばない500万円を超えてしまう方々を、特有賃が成立しないような状況の中で、実は500万600万700万のファミリー世帯をパブリックハウジングで面倒見られるのかというと全くできなくて、公営住宅法のしがらみが消えた中で、手を出していける話の方が、本来的なまちなか居住を考えていく場合にはあり得るだろうという気がしています。
実は今まちなか居住の居住水準という研究をさせてもらっています。まちなかに住むのはいい、まちなかに人が入っていくのもいい、ただ鈴木先生がおっしゃったように、病院はあるのだろうか、買物はできるのかといった時に、まちなか居住は高齢社会だということを盾にして、実は高齢者に無理強いさせていないかと、まちなかに追い込んでないかと、高齢者がまちに行って、本当に安心して住めるのだろうかということについて研究しています。弘前で借上げ公営住宅の居住者にアンケートを取ったときに、あなたはなぜまちなかの借上げ公営住宅に移ってきたのですかと聞くと、7割の人が近くに病院がないからと答えました。弘前は医学部があることもあって、まちの中に小さい病院がいっぱいあり、中心市街地には 市立病院があります。これは他の都市のように郊外に出すことはしていません。また中心部にはイトーヨーカドーとダイエーが建っていて、利便性と安全性と、文化を味わえると答えてくれたのが、市役所でも嬉しく思っています。ですから、そういうことを地方の小さな都市で成立させていくことはあり得るだろうと思います。そういうところがまちなか居住をメインにしていくことがまだ不十分で変曲点を迎えないと思うのですが、むしろ今どんどんマンションが入ってきて、環境としてまちなか居住が本当にまちなかを享受できるかを考えていくことが必要である思います。もうひとつは、例えばマンション業者が1階に住宅を入れないというルールを作ったのに守らないという事例がありました。弘前は1階に住宅機能を入れないという地区計画をかけています。これを守っているディベロッパーと守っていないディベロッパーがいて、地元のディベロッパーが建てる小規模なアパートの1階には絶対入っていません。それはなぜかというと地域の方々と議論しながら、その地域で地主とかと交渉しながら、地元のディベロッパーが建てようとしていく場合に、地区計画についてはかなり議論してくれるのですが、外から図面を持ってこられた場合には答えようがない、しかも彼らとしては全国的な傾向を示しているので、それはできないと言い切るだけのものはありません。僕は地産地消のまちなか居住という文章を書かせてもらっているのですが、地元の人たちが地元で生み出して、地元でまちなか居住して、地元の財を消費していくというかたちの物語をつくれるまちなか居住と、外から外部資本が入ってきて、なんとなくまちの中に人が増えているような錯覚を覚えつつ、そのお金が考えてみたら外に出て行ってしまうというのは、同じまちなか居住でもまちにとっては相当違いがあるだろうと思います。それが青森の場合は両方見えていて、なおかつ外からの資本がどんどんいま攻勢してきているので、借上げ公営住宅をした地元の人たちは、まだ地元で物語をつくっていこうという人たちなので、こういう方々をうまく支援することを公共は考えていかなくてはならないと思います。三つ目は、まちなか居住というのは、市民に買ってもらうためということ以上に、岡部さんの最初の言葉で言うと、まちが人の集う都市空間として、まちが持続可能かどうかをしっかり見極めるセンサーとして、やめたといって郊外に出ないで、まちに住み続けると言って、センサーとして評価し続けるひとたちを抱えるという意味があると思っていまして、そういう方々が諦めてしまい郊外にものを求めるのではなく、これから住み続けようと思う人たちを味方にして、地域の問題点をしっかりと見極めてもらうという覚悟でまちなか居住を進めていかないと、まちなか居住がはじまった段階では、物語の終わりでもなんでもなくスタートだろうと思います。その方々を引き受けるだけのキャパシティと覚悟を都市政策者は持たないと、結局楽しそうに言ったけど全然違うじゃないかと言って、その方々が再度外へ出て行ったら、大変な空洞がもう一度起きるだろうと僕は思っています。高齢化対応のマンションがいままちなかに建った時に、 10年後20年後のモデルをどう考えるか、その方達がいなくなったときに、分譲型でやったこのマンションの居室をどうするか。絶対子どもが相続して住むとは言えませんし、そういうことから考えると、居住性というのは住宅だけではなくて、まちなかでどこまでまちづくり的に担保できるかは、単なる商売だけでなく、かなり大きな問題を、今東北の都市、まちなか居住ブームというのは抱えているのではないかと思います。そのためには岡部さんがおっしゃったような、デザイナーズマンションのような新しいタイプの形態的で若い人も引っ張れるような公営住宅的なマンションをつくっていくという話もあると思います。ひとつ気をつけなくてはいけないのは、東北のまちなかに住みたいと思っている居住層のライフスタイルと、東京の公団のマンションに手を挙げる人たちのライフスタイルはおそらく違ってくると思います。シングルでずっと住む、あるいはシングルマザーやシングルファザーで子どもと暮らすような居住階層がまちなかに住むのは地方都市の場合はまだほんの一部であり、東京の真似ができない部分もあります。その辺りが悩ましい部分ですが、まちなか居住とは、今の時代だからこそ少し本腰入れてそれに対応すること、まちが受け皿を考えていかないと、危険な側面を迎えつつあるなということを僕は感じています。
先ほど青森県さんがおっしゃったことについて、鈴木先生からお話お願いします。 |