「『まちなか』力(りょく)への信頼」(基調講演)
千葉大学 岡部明子 助教授
III.アメリカ チャタヌーガのダウンタウンの再生 |
そこで一つ、アメリカの例を紹介させていただきたいと思います。これはアメリカのダウンタウン再生で非常に有名になりましたチャタヌーガという都市です。アメリカの南東部にあって、最寄りの大都市がアトランタになります。テネシー川が流れていて山があるという、アメリカとしては細やかな景色のある風光明媚な土地だそうです。正直に言いまして、ヨーロッパの都市というものに慣れ親しんでいる、あるいは日本の都市を知っている人間としましては、ダウンタウン再生に成功したまちにしてはかなり寂しいまちだなと思います。山あり川ありの大味な地形で、ここの川のほとりに都市再生の目玉のひとつとしてテネシー川の魚が泳ぐ淡水魚博物館や日本では今問題になっているブラックバスなどの魚がいる水族館があるわけですが、このような都市でもダウンタウンを再生してそれなりの波及効果を持ったということはやはり希望を与えてくれることかなと思いました。 チャタヌーガは人口 15 万 5 千人の都市です。アメリカの歴史の中では何度か顔を出す都市で、ニューディール政策のテネシー渓谷開発の影響で工業都市として繁栄します。ところが 1970 年代に入ると、郊外失業人差別等の複雑な問題で、年中話題になる都市になってしまいました。それが 1980 年代後半からダウンタウン再生を成功させ、また話題の都市になっていきました。このチャタヌーガの都市再生の動きは、 2 期に分けられると思います。第 1 期は都市再生です。ダウンタウン再生に着手した 1983 年、ジン・ロバーツが市長になった時から始まり、彼が退任する 1977 年で一区切りとしてダウンタウン再生は終わり、そして 1977 年からはまた新たな動きがあります。その 2 期に分けて簡単にご説明させていただきます。第 1 期は、いろいろな意味で幸運が重なって、アメリカでは珍しくダウンタウン再生に成功しました。元 FBI の出身のジン・ロバーツは、工業で栄えていたわがまちのイメージを持って久しぶりに故郷に帰ってきたら、もうその工業は無く、灰色のスモッグにかすむ寂しいまちでした。これを何とかしようと彼は市長になって頑張るわけですが、この時にいろいろな意味での幸運がありました。一つは市民リーダーにすごく優秀な女性の人がいたということ、もう一つは専門家でこのダウンタウン再生を自信を持って進める建築家がいたということ、そしてもう一つは地域再生に投資しようとする地元企業があったということです。この 3 つの条件がたまたまうまく重なっていました。まず、市民リーダーはメイベル・ヒューリーといって、市民参加の世界ではすごく有名でカリスマ的な存在です。彼女は市民 1 万人にアンケートをとり、市民の手で戦略性を持たせた実現可能なビジョン、「ビジョン 2000 」をつくることに成功しました。 2000 年に向けて、優先順位を付けていろいろな達成目標を設定するのですが、それがかなり市民に実感されるかたちでどんどん実現していきました。その象徴として、テネシー川のところに古いボールナーツ橋の橋の板一枚ずつに献金した市民の名前が入っています。かなり都市全体の利益を考えて、市民全体で戦略的なビジョンをつくりそれを実現することに成功したということだと思います。もう一つは、建築家のストロード・ワトソンという人がいまして、彼はものすごいダウンタウン信奉者のため、ダウンタウンの「まちなか」に人が集まれば何か良いことがあると、まちは豊かになるのだという信念を持っているおじいさんです。私も話を聞きに行きました時に、いつも使うパネルがそこにあり、ダウンタウンを歩く、ダウンタウンに住む・働く・建物を建てる、ダウンタウンで買い物をする・遊ぶというパネルが 6 、 7 枚ありまして、ダウンタウンに金貨が一杯集まっているような絵が描いてありました。彼は、ダウンタウンで何かすると何か良いことがあるということを、何とかして市民に教育するしかないと言っていました。というのは、チャタヌーガは「まちなか」に住む、都市に住むという経験のある市民は一人もいないと言っていいような状況でした。低所得者だけが倉庫街のようなところにしょうがなく住んでおり、それ以外のほとんどの人達が郊外居住でした。ダウンタウンの良さを知っている人はいない中でも、そうした教育活動や啓発活動を建築家が行い、市民の総意にしていくことができました。そしてもう一つは、ここには地元の企業で非常に強い企業、「コカ・コーラ」の王冠のパテントを持っている会社がここにあります。その企業は地元の再生にお金を投資するという気持ちがありました。この 3 つ、そして主張を入れた 4 つがうまくかみ合ったところで、チャタヌーガのダウンタウン再生が行われたのです。 一般的には社会的な人間のつながり、最近よく言われる社会資本、ソーシャルキャピタル、社会関係資本と呼ばれるようなものがうまく機能したが為に、都市再生に成功したと評価されているのですが、ここでは先ほど言いました空間と社会の関係ということでお話しようと思います。それが建築家のストロード・ワトソンが言ったダウンタウンに賑わいを取り戻すということです。チャタヌーガのダウンタウンに、一つの観光スポットとして水族館が 1992 年にできます。もう一つはグレン・ミラーの曲で有名なチャタヌーガ・チュー・チューという曲があるのですが、その舞台で有名になりました鉄道の駅があります。この 2 つ間が 2km くらいあるのですが、ここの間を無料の電気バスでつなぎます。無料にしないと公共交通機関というものを知らない市民は絶対ここで車を降りて歩くということをしないのです。そして、この真ん中にミラーパークがあるのですが、まずストロード・ワトソンは、このミラーパークを整備しました。市民が集うような公共空間とはこういうものなのだよとまずつくって見せて、そしてそのメインストリートにバスを走らせました。これにより実際にダウンタウンの再生を空間的に市民が確かめ合う行為が機能したのではないかと思います。これでチャタヌーガというのはアメリカでダウンタウンを再生したまちということで急に有名になってしまい、ブランドシティになりました。その結果、坂から転げ落ちるように都市再生が進む状況になります。その時に新しく市長になりましたジン・ロバーツという市長はデベロッパーの出身で、より潤沢な資金を持ってリバーフロントを整備して開発していきました。 一方でデベロッパーが、ブランドシティのイメージをもった開発を進め、他方で今度は郊外の住宅地再生というのが内発的に起こってきました。ダウンタウンが成功したということで、そうした空間的に良いまちをもう一回再生し、しかもそこにコミュニティがあり治安も良いまちをつくるというものです。郊外の治安が荒廃しているようなところを今、再生すれば、既にチャタヌーガがブランドイメージを獲得しているので、それにあやかって、そうした郊外の地価も上昇するだろうというような動きが出てきます。「ハイランドパーク」というチャタヌーガと空港をつなぐ間の辺りで、立地としてはすごく良い場所で、町内会長さんにお会いしました。町内会長さんは 20 代前半位の青年実業家で、アトランタから一年前に移り住んできたと言っていました。ここを町内会という自治会で再生することによって治安を良くすると、所有者にとっては資産価値が上がるし、市にとっては固定資産税が多く入るため、両方にとっていい話だと。今まで住民の人達は、ここは治安が悪いとネガティブな報道ばかりがされていて悪循環を起こしていたので、逆に良い動きをマスコミに紹介してもらうことによって資産価値を上げていくというような信念で、こうしたダウンタウンの再生が今度は周辺の郊外の再生へと向かっているというような状況にあります。このように波及効果もあり、それなりにダウンタウン再生というのはうまくいきましたが、最近起こっている郊外の再生とダウンタウン再生の大きな違いは、ダウンタウン再生というのは都市全体の利益の為に郊外に住んでいる人も含めダウンタウンを再生する必要があるというコンセンサスを何とかうまく進め、良い動きと評価されているわけですけれども、現在起こっているのは、自分達の資産価値を上げる為に郊外の地区間で . 競争が起きてしまって、都市全体の利益を考えた話ではないというところに大きな落差があるのではないかなと思います。チャタヌーガの話で、ただ一つ、我々が日本で今「まちなか」再生で悩んでいるところで参考になることは、全く「まちなか」の生活を知らない人達でもダウンタウン再生ができるということです。そして、この 1990 年から 2000 年の間にここに住んでいる人は 29 %増えています。それは非常にすごいことと思います。しかし「まちなか」と呼ばれるエリアは約 3km 2 で、市域全体は 322km 2 です。そしてここのダウンタウンに住んでいる人はたったの 1 万人です。人口の 5 %よりも若干多い位の人しかダウンタウンに住んでいないが、ダウンタウン再生により、実際この「まちなか」はテーマパークみたいになっています。レストラン、映画館、娯楽施設というものが中心で、生鮮食料品などの生活感があるようなお店はほとんど無いというような状況です。ほとんどの人は郊外型の生活をしていて、まちなかはたった 3km 2 で人口密度も高くはありません。日本だと DID になるかならないかくらいの密度の市街地をつくることによって、ダウンタウン再生でブランドシティになっている、つまり結構小さなダウンタウンでも、それなりにその空間的に具体的なイメージを与えられて、市民みんなが生きるようなダウンタウンができれば、郊外に住んでいるような人達も「まちなか」に遊びにくるような「まちなか」ができれば、ダウンタウン再生いわゆる「まちなか力」というようなものを引き出すことは可能であると思います。 |
IV.なぜ日本の都市は『まちなか』力に期待しないのか | ||
そして最後に何故日本の都市では「まちなか力」というものに期待しないのだろうかを最後に考えてみたいと思います。そこに挙げましたように、大きくは 3 つの要件があるかなと思いました。 一つ目は、やはりただの商業活動の場としてしか中心市街地というのを見ていないからだというのが一番大きいと思います。これは行政の人も市長さんもそうだろうと思いますが、その地域の経済活動を一番重視するが為に、もし大型ショッピングモールの出店の話がくればそちらの経済効果を優先せざるを得なくて、その「まちなか」というものを中心市街の商店街というのを保護する理由がなく、また、市民の人達もただの経済活動としてしか商店街を見ていないところがあると思います。ですから、例えば非常に大型のショッピングコンプレックスが郊外にでき、中心市街地と同じくらいの延べ床面積のショッピングモールがほとんどの地方都市でできてきているような状況にありますが、その中で、高知市の比較的有名な話ですが、高知市が郊外のショッピングモールにシネマコンプレックスが入ることに対して、市長が何とかして、今ある限られた法的ツールでさし止めようとしました。それに対してショッピングモール側は行政訴訟を起こし、シネコン出店の市民の署名を集め、市民はシネコンができることを望んでいることを訴えます。市民としても新しい経済活動に対して、中心市街地を守っていかなければならないことをあまり考えられていない。また、商店街に住んでいる人も、かつて地域経済における中心的な比重を占めていた昔のノスタルジーにしがみついているところがあり、商業の中心を望んでいる。そのため中心商店街というのは非常に地価が高い状態でシャッター通りになっていると思います。 二つ目は、数値基準の神話が根強いということです。日本の基準ですと、 4 千人 /km 2 以上の所を DID と定めています。みなさん、「 DID 」=「まちなか」というイメージが非常に強いと思います。わがまちから DID が消えることが「まちなか」が無くなってしまうことと考えられているところがあると思います。けれど、その 4 千人 /km 2 とは世界的に見ると、例えばアメリカでは都市的な居住、つまり農業をやっていないようなエリアの居住です。その十分の一でも、十分都市的なエリアと言えますし、日本では農村地域が平均千人 /km 2 で住んでいると言われていますが、かなり多くの国では都市的な密度と言われるくらいで、密度だけから見ると、日本の「まちなか」というのがそれほど危機的な状況にあるとは言えません。しかし、数値を非常に重視する傾向にあるということです。 そして最後は、ハードの社会資本整備に対するアレルギーが強いということです。何となく公共事業に対する風当たりが非常に強くなって「ハコモノ」だと批判されるため、最近、物の豊かさから心の豊かさへと言われるように、ハードの整備は卒業してソフトの整備にいきましょうという流れがありますが、空間と社会の相乗効果というものを考えますと、ハードの整備とソフトの整備がうまく絡み合わないと、「まちなか」というのは良いかたちで機能していかないということになるのではないかと思います。一番私が重要だと思いますのは「まちなか居住」をどう考えるかであると思います。つまり「まちなか」だけを切り離して論じるのではなくて、都市全体として「まちなか」を維持していくことが重要であるというコンセンサスの上で、「まちなか居住」を提案し、「まちなか」を考えるということになると思います。つまり人々はどういうライフスタイルを持っていても良いわけで、決してそのコンパクトに住めば良いというものではなく、それを強制するということはできず、郊外の気ままなライフスタイルを好む人はそうした生活をする自由がありますし、また周辺の農地に住む人があっても良いと思います。ただ、都市全体の共有の財産として「まちなか」というものがあり、「まちなか」を維持する為に、それぞれにオーブンのふたをしていかなければならなくて、その為にどうしていくのかをスタートラインにしないと難しいのではないかと考えます。日本の都市でも、必ずしも商店街だけではない「まちなか」の価値に目を向けられていて、これはまちの顔であるというような言い方もされています。また、「まちなか居住」にも目が向けられるようになっていまが、「まちなか居住」を促進する為の何らかの助成金や補助金がどこから出てくるかは分かりません。やはり都市全体のコンセンサスとして「まちなか」にある程度の人が住み、そこで商業活動が行われているということが、まち全体の生命線であるという共通の了解があるとするならば、郊外に居住する人はたとえ「まちなか」の恩恵は直接的には受けなくとも、それに対して何らかの負担ができるような仕組みがあります。その上での「まちなか居住」の促進や今回のテーマでありますコンパクトシティが良いのか悪いのかというような議論もあるのではないかと考えます。 以上で私のお話は終わらせていただきます。どうもありがとうございました。 |
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※1『新しい中世』 1996年‐(著)田中 明彦 ※2『アメリカ大都市の生と死』 1977年‐(著)ジェーン・ジェイコブス(訳)黒川 紀章 |
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