明治・大正・昭和22年までの内務省時代
明治
年月日 主な出来事
明治 5年 「道路掃除条目」公布
明治18年当時の国道
明治 6年 「河港道路修築規則」一等、二等、三等の等級を定める。「羽州街道」は二等道路となる。
明治 9年 国道・県道・里道を定め、道路を3等級に分ける。
明治18年2月24日 44路線を国道に認定。幅員を7間(12.7m)と定めた。
内務省告示6号 「羽州街道」の秋田〜青森間が国道41号となる。
明治22年 矢立峠修築
大正
年月日 主な出来事
大正 8年 4月11日 道路法公布。明治期の道路路線を廃止し、新たな国道(大正国道)を定めた。(計64路線)
大正 9年 4月 1日 道路法施行
内務省告示28号 福島〜青森間が国道5号となる。
「第一次道路改良計画」を実施するが、3年後関東大震災のため頓挫。
昭和(内務省時代)
年月日 内務省事務所 主な出来事
昭和 7年 7月 3日 青森国道改良事務所開設(野内村浅虫) 青森〜浅虫18.0kmの改良工事着手
昭和 8年 青森国道改良事務所移転(青森市造道) 青森〜弘前25.2kmの改良工事着手
昭和 9年 青森国道改良事務所移転(三戸郡三戸町)
昭和17年当時の国道
「第二次道路改良計画」を実施するが、不況と戦時体制への移行によりまたも頓挫。
昭和11年 青森国道改良事務所移転(藤崎町)
昭和12年12月 青森国道改良事務所移転(青森市沖館)
昭和18年 3月31日 青森国道改良事務所閉鎖 青森〜弘前25.2kmの改築事業一応完成
昭和18年 戦時下での輸送体系確立の一環として、「全国自動車国道計画」を内務省が立案。
昭和19年 東京・神戸間の実地調査などが行われたが、昭和19年に打ち切り。
昭和22年12月31日 内務省官制廃止