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洪水を防ぐための工事と施設 > 最上川改修の歴史
昭和8年〜20年の改修
 度重なる洪水氾濫により、地域住民の被害・河状の荒廃も著しいものでした。上流部の直轄河川調査が行われ、昭和8年に内務省直轄として本格的な改修工事が始まりました。このときの工事は、本川・支川計98q間について、氾濫被害の大きな米沢市、長井市、村山市など、流域の中でも比較的大きな市の周辺から着手しています。


吉島橋新設工事(最上川上流改修附帯工事)における支保および路盤載荷試験状況(昭和12年9月)
完成した吉島橋。鬼面川捷水路右岸より(昭和13年10月)

河北町谷地地先における「のり覆工(柳枝工)」
(昭和14年頃)

当時の工法:柳枝工

 のり覆工、しがら工の一種で、そだを敷き並べてその上に生柳の小杭を打ち込み、これに法方向に2m、流れ方向に1mの枠形のしがら(柵)を作り、しがらの高さいっぱいに、下部に土砂、上部に切り込み砂利を充填する。この施工には、柳の発芽に適当な10月中旬〜翌4月下旬くらいまでの時期を選ぶ。利点は粗度が大きく、費用が安いこと。欠点は耐久性が乏しく維持管理が難しい。




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