国道47号とは

時の流れを感じる名所・旧跡が沿線に

47号線写真1
新庄-酒田間は最上川に並行

47号線写真2
冬の地吹雪対策として防雪柵を設置

 庄内藩の参勤交替の通り道でもあった街道を、明治時代に内陸と庄内を結ぶ道路として整備した「清川街道」が、現在の国道47号沿いにある庄内町界隈にあたります。酒田市から東に下りた庄内町清川は、かつては最上川舟運の主要な港で、関所が置かれた場所でもありました。松尾芭蕉もこの地に上陸しており、現在の清川小学校の裏手に「 奥の細道芭蕉上陸の地(清川関所跡)」の標識と、芭蕉の句碑が建っています。
 沿道をさらに東に行くと、清川神社と幕末の志士であった清川八郎記念館があります。付近には戊辰戦争で庄内軍と官軍が戦った地や、弁慶にまつわる腹巻岩、歓喜寺、御諸皇子神社も残っています。
 道づたいに数多く残るこれらの史跡や旧跡は、一つの道を核として人々の交流が多彩に広がっていたことを示す「歴史の道」ともいえます。

より快適な生活環境にしていくために

 県内初の定期バスが走ったのは清川から鶴岡市にかけて。明治43年のことでした。これらの道は昭和38年に一級国道47号に昇格し、仙台市を起点として宮城県古川市、山形県新庄市、酒田市にいたる東北地方の内陸を横断する約186.1km (道路統計年報2015より) の幹線道路になりました。
 このルートのうち山形県庄内町から酒田市までの約29.2kmの改築を管理するのが酒田河川国道事務所です。昭和40年代からバイパス工事に取りかかり、スムーズな交通、安全の確保、日常生活の利便性の確保を図ってきました。平成6年には、地域高規格道路「新庄酒田道路」の指定を受け、地域間の連携・交流を支える重要な路線として整備が進められます。