北上川は、岩手県、宮城県にまたがり、岩手県北部の岩手町御堂を水源とし、岩手県のほぼ中央部を北から南に流れています。川の東側の北上高地から流下する中津川、猿ヶ石川など、西側の奥羽山脈から流下する、雫石川、和賀川、胆沢川などの支川を合わせて、一関市の狭窄部(川幅が狭い部分)を経て、宮城県に入ります。さらに仙台平野を縦断し、宮城県津山町柳津地先で旧北上川と分かれています。北上川は東へ流れて追波湾に、旧北上川は南下し石巻湾に注いでいます。
この地方は日本書記にでてくる『武内宿禰(たけしうちのすくね)、東国(あづまのくに)より環(かえ)りまいてきて奏して言(もう)さく、「東の夷(ひな)の中に日高見国あり…」』(景行天皇27年2月条)の日高見国ではないか、といわれています。日高見国がどこにあるかは、はっきりとしていませんが、朝廷の権力のとどかない辺境の地をさしたものと考えられています。 その日高見国を流れる川「日高見国の母なる川」の意味が、日高見川(ヒタカミ川)→キタカミ川、やがて北上川とあて字をするようになったといわれています。
岩手町御堂観音の右裏手にある「弓弭の泉」が、古くから北上川の源泉だと伝えられてきました。天喜5年(1057)6月7日、前九年の役で源頼義、義家父子が、この地に進軍した時に、義家が矢を放った所を弓の端で堀り出すと、清水がこんこんとわき出し、猛暑にあえぐ兵ののどを潤したといわれています。