過去の主な土砂災害
寛永年間  寛永12年(1635年) ※または寛永14年(1637年)災害 [松川流域] 
松川の流れが信夫山の南側から北側に変わってしまった大災害
 当時、大笹生網島地区あたりを流れる松川は、写真点線のように、網島から北沢又大和田を通り、泉堰で向きを変えて、信夫山の南側を流れ阿武隈川に合流していました。ところが、寛永12年(または寛永14年)の大洪水によって、堤防がなく、両岸に松が植えてあるだけだった松川は、大きな被害を受け、現在のように信夫山の北側に流れを変えてしまいました。
現在の松川と旧河道
明治43年  明治43年災害 [荒川流域] 
濁流が数百ヘクタールの田畑を飲み込んだ大洪水
 明治43年台風で大雨となり、荒川の四ヶ村堤防が金坪地内でくずれて壊れました。そこから濁流が佐原地内に流れ込み、そのまま本流となりました。そして、佐倉金坪から焼林、室石を流れ、水保地内の土船、庄野、桜木の数百町歩(数百ヘクタール)にわたる田んぼや畑を飲み込み、途中から須川に合流しました。
明治43年荒川大氾濫図(半沢光夫氏による)
昭和13年  昭和13年災害 [荒川流域] 
土石流が土湯温泉を襲った
 昭和13年荒川の洪水によって、土石流が発生しました。これによる被害は、荒川筋下流災害12ヶ所、埋没浸水23戸などをはじめ、上流の砂防ダム2基に14万(計画貯砂量97,500)もの土砂が溜まりました。また、土湯村(現在の土湯温泉町)では流されてしまった家屋が5戸、温泉1ヶ所があり、道路が壊れるなどの被害もありました。
昭和13年の土砂災害 (土湯村)
平成元年  平成元年災害 [松川流域] 
道路が寸断、温泉宿が孤立状態に
 平成元年台風13号による大雨では、山から土砂がくずれ落ち、土石流となって、山間にある一軒宿の姥湯温泉を襲いました。またふもとまでの一本道が通れなくなり、宿泊客や従業員が温泉に取り残され、警察や消防の助けを待つという状態になりました。
災害直後 復旧後
平成元年の土石流災害(姥湯温泉)