物語「仲間外れのトンゲンツ」
大町は出水で綺麗な内川に恵まれている、だから古代からの生きた化石と言われているトンゲンツ(いばらとみよ)が、いたる処に生息していた。然し、昭和三十年代、四十年代へと移行するに従い、生活様式の変化に伴う生活排水、汚水等が川へ入りトンゲンツの住む環境に適さず絶滅し、正に幻の魚と化しましたが、地区あげて保護に取り組んでいる処もあり、清流にしか住めない、川の汚染度のバロメーターとも言える小魚であり、今後、下水道の普及、住民一人々々の理解により、川の浄化に努め適する環境造りがなされ、この魚が住める自然の姿に戻さなければと思いますが……。
一度汚染された川が、元に帰るには、その何倍もの日数と費用を要し並大抵ではない、人間は万物の霊長と言われているが、小さなことまでは気がつかなかったのか、同じ自然界に住む小魚から、環境問題を教えられ投げかけられる。そんな因縁めいた堂々巡りは止めようと、ここに過ぎし日を思い出しながら記して見ました。
昔、学校から帰ると遊びの一つに、小川で網を持ってザッコ(小魚)せめ「なしてトンゲンツばり網さかがんなだべ」と言う位多かった、この魚は名前の通りトゲの様なものがあり身が無く、煮ても食えないから掛かっても捨てられるか、はなしてやる、喜ばれない魚であった。川の中には鮒、ハヤ、ナマズ、他色々な魚が住んでいる種類が異なっても住むところが同じだから皆友達、仲間であるがトンゲンツの子供は、「お母さん今日も誰も遊んでけね、トゲあっさげおっかなえなて」「お前トゲもったはげ悪いごどしたなだべ」「何んにもすね、水草の中でかくれんぼ、してえだなフナ雄君どさ、まじぇでてゆたれば、あすばねて……」「んだら家のながで一人であすべは」「やんだ、やんだ」「ずごねだで、あすんでけねなだらしょなえべ」お母さんはオヤツを与えやっとだました「ほら、メダカ君も一人で遊んでえる、お前よりずっと、ちぇちゃえげんど」トンゲンツのトゲ雄は「僕と遊んでけろ」とそばに行った、「今からお母さんと一緒に上のすんるえさんぐはげ、あすばんなえ」誰一人として仲間にしてくれない、どうしてだろう。何も悪いことしていないのに、同じ川に住む魚なのに。トンゲンツは持って生まれた習性。雄が巣を作り雌がその中に卵を生むという他の魚にない、生きた化石と言われる如く、子孫を絶やさない本能が備わっていればこそであるが、他の魚からみれば巣を作る器用さが、頭の良さに写る一種の妬み(ねたみ)にとられるからだろうか、(人間にも通じるが)。川の中で一人ぽつんと、寂しそうにしているとウナギのウナ吉君が穴から顔を出して声を掛けてくれた、「トゲ雄君何悲しそうにしてえんな」「遊べてゆたて誰もあすんでけねなだもの」ウナ吉君は元気をつけようと「俺だって皆のように泳ぎは上手でないし遅えす、だげ誰もあすんでなどけね一人でばり、遊んでえんなだぜぇ」「んだで一人で何して遊すぶなゃ」「川の中昇り下りあらぐどんもしゃえ、」ただ川の中泳いであるいても何も面白く等とトゲ雄は思ったが、「何があるがや」「人間の子供が学校の帰り道ばだで、川を見でありゃウナギえだなて、俺ば見で手で捕まえるきなるはげ、わざどせぇめらっでも俺はヌルヌルてゆうはげすぐぬげできたりしてたまげらしぇんなだ」「よぐねげでくるえな」「んだど子供だくやすくてえんな見っどんもしゃえ」「んだで俺だせぇめられっど、こだな魚なてやっで投げらっで死んですまうであ、友達も人間から、だえぶほだなごどさっできたなだもの」「んだらお互え友達えねくて今度から二人で遊ぶべはあ」トゲ雄も喜んで家え帰りお母さんに話した。「しぇがたなあ、んだら二人ながしぇぐして遊べな」然し、トゲ雄のお母さんは考えた、家の子供は水が汚れていない綺麗な川にしか住めない魚であるし、ウナ吉君の処は水が汚れていても濁っていても住める事が出来るし、仲間、友達の居ない魚同志が仲良くしてくれるのは親としても本当に有難いことであるが、二人に取っての環境は生まれながらにして夫々異なり、合う術もなかったのは神のみぞ知る、この世の定めと思われる。このことをトゲ雄に言えば悲しませるだけだし、さればとて、ほうっておけば死ぬのは目に見えている。お母さんは「トゲ雄、ウナ吉君とは住むところも違うし、食べるものも全然違うから遊ぶのはやめてれろはぁ」と思いきって言った。「なしてや、せっかぐ、ともだづなて遊んでけるてゆうなば」「だめなものはだめだ」「さきたお母さんしぇて喜んでけだで」トゲ雄はふくれて部屋に篭ってしまった。子供を死なせるよりはと、一時の悲しみよりは親心と……夜になるとナマズの小魚連合会長がフナ、ハヤ、鯉と種類別に班長に連絡し水藻の生い茂った集会場で会議を催すとのこと、然しトンゲンツには連絡がない会議の内容は、人間の子供につかまらないようにと重要な集まりで殆ど出席した。ナマズの会長から毎月一日、十五日は警戒訓練日にするということと、
(1)人間の足音が聞こえたらその場所にいる魚から警報を発令する
(2)網が目に入ったら一斉に散り散りになり、集団では行動しない(纏まっていると多数の仲間がつかまえられるから)。
同じ川に住む魚でありながらトンゲンツだけ仲間はずれにされるのは何故か。だから何時も捕まえられるのは、犠牲になるのはトンゲンツである。然しハヤの組長から「このような重大な会議にはトンゲンツも是非入れる必要があるべちゃ」と提案した。フナの組長から「今一つ大事な問題を相談さんなねっだな」ナマズの会長から「なえだべ大事なごとて」「この頃おらだ住む川がめっぽう汚れ、きたなぐなてくらさんなぐなてんぐばんで生死にかがわるごどったな」全員から「おらだ一代でえねぐなるなて考えっど情けなえべちゃ」フナの会長から「大町は出水で綺麗な川だて、すばらすぐ、暮すやすえどどごだて外さえってずまんしてえんなだけ」会議が急に川の環境問題に移り議論続出。「上の工場からの排水、土の中さすもて水んまくなぐなたべっす」フナの会長から「人間は自分だな都合つか考えねはげな、自分だえらねもの川さなげだり消毒した機械ばざぶざぶあらたりして」比較的目が大きい鯉が見ているのだろうか「子供だて自分だ食た物んまぐなえど川さなげだり、大人だて生ゴミもだで」「おらだ生ゴミなどかまねちゃ、人間はテレビだのて文化生活してえで、おらだな暮しなど昔のまんま水の中で変わらねなも考えでけんなねだな」。突然ナマズの会長が「わがた、こおなっどやっぱすトンゲンツばなえったて会議さへれんなねな」「あえずだ綺麗な水さすかえらんねえ魚だげ、水よごっで、きたなえが、いっぺんでわがる。」なしてや「水合わなえどあえづだ皆死ぬはげ」
「ほんでざあんまり、むつこさえべ」
「あえづだ昔えづばん、えっぱえ川さえんなだけげんと、川きたなぐなたれば、えづばん早く死んでえねぐなたなだげはげ、わがんべ」「んだらトンゲンツがら人間様さ申し入れさせんべや」ナマズの会長が次の日トンゲンツが集まっているところへ、小魚連合組合として書面をもって説明にいった。
「なえだ今迄おらだばえらねものしてえだくせぇに、頼むどぎばりが」とトンゲンツの会長が怒鳴ったが会員から生死に関わることだからとなだめられ、ナマズの会長の書面を受け取った。それには川の中から人間に見せる文が箇条書きで書かれていた。達筆である。
1.私たちも小さな生物であるが生きる権利がある。川が汚れれば生きられないので、絶対汚さない、川に捨てない、汚いものは流さないの3無い運動を守ること。
2.地下水の汚染を防ぐため、上流の工場排水の浄化装置の設置と定期的な検査をなし、汚水の垂れ流しは絶対止めること。
3.何時までも人間と共存されるような環境の整備を計り、地球の一員としてお互い住み良い社会を作るべく努力すること。
トンゲンツは会長始め全員で、私たちは生死をかけ上記の提案をする次第であると声高らかに人間に届けとばかり叫び、ナマズの小魚連合会会長が持ってきた書面をプラカードに貼って人通りの多いところに掲げた。しかし、一つでも守られない場合、一番犠牲になるのは他でもないトンゲンツである。
一番犠牲になるのはトンゲンツである。 |